沿 革
〜創立三十周年記念誌「三十年の足あと」から〜
黒松団地で最初の店と言えば三喜屋酒店で昭和36年8月の開店だった。住宅も増え住民待望の大型店、藤崎スーパーマーケット(当時フジストアと言っていた)が開店したのは、その二年後の昭和38年4月である。そして当時フジストアの支配人をしていた山中寿氏が中心となって黒松商工振興会が、フジストア開店の一年後昭和39年9月に16店舗ほどの会員が結成された。黒松団地は南と北の一画に商店区域が造成され初代会長の山中氏等は、二期工事で出来た北の商店に加入を呼びかけ、更に旧国道ぞいに点在していた店にも加入を呼びかけて、一時期七十会員に達したことも有った。その後、40年代後半に入ってから北根地区に商店会が出来て黒松商店会から離れ、昭和50年代から平成5年の現代まで50名前後の会員で会を運営している。団地内には一般住宅の他、県営、公社、公団住宅のアパートが建ち並び、町内会も6町内会となり、商店会結成と同じ年昭和39年7月に黒松連合町内会が設立されている。団地内の諸問題も先輩諸氏の大変なご苦労により一段落し、40年代後半頃から、町内会行事もいつしか恒例となり、商工振興会これらの行事の機動力となり、黒松団地では地域のイベントには無くてはならない存在となっている。商工振興会正に連合町内会と共に手を取りあって歩んで来た道であり、連合町内会の設立30周年を心から祝福したい。
商工振興会30年の歴史の中で何と言っても心に残るのは、昭和47年 3月の黒松自衛消防隊の結成である。勤めに出る人の多い団地の防災は私ども商店主の手でと商工振興会の会員が中心になり町内にも呼びかけて結成された。商売の傍ら地域の火災予防を願い今尚活動を続けている。こうした商工会も、平成一年の生協黒松店開店又、泉中央への大型店進出にともない、黒松の商店も影響をうけて、閉店した店や黒松にみきりをつけ、他に去った店も有り大変厳しい状況下におかれている。一方、世帯交代の時期を迎え、黒松の商店に若い後継者が育たないのも悩みの一つだ。親の家業を継いだ若者は全会員の二割にすぎない。こうした悩みを抱えたわれわれ商店会員は店の活性化を考え、わが商売を通して地域の発展を願い家業を継いだ若者が、安心して伸び伸びと活動できる黒松に育てて行くことだと思う。
こうした意味から私ども商店会は一丸となって、地域の接客サービスに徹して行く覚悟であります。
商工振興会30年の歴史の中で何と言っても心に残るのは、昭和47年 3月の黒松自衛消防隊の結成である。勤めに出る人の多い団地の防災は私ども商店主の手でと商工振興会の会員が中心になり町内にも呼びかけて結成された。商売の傍ら地域の火災予防を願い今尚活動を続けている。こうした商工会も、平成一年の生協黒松店開店又、泉中央への大型店進出にともない、黒松の商店も影響をうけて、閉店した店や黒松にみきりをつけ、他に去った店も有り大変厳しい状況下におかれている。一方、世帯交代の時期を迎え、黒松の商店に若い後継者が育たないのも悩みの一つだ。親の家業を継いだ若者は全会員の二割にすぎない。こうした悩みを抱えたわれわれ商店会員は店の活性化を考え、わが商売を通して地域の発展を願い家業を継いだ若者が、安心して伸び伸びと活動できる黒松に育てて行くことだと思う。
こうした意味から私ども商店会は一丸となって、地域の接客サービスに徹して行く覚悟であります。
回 | 会長氏名 | 在任期間 | 在任年数 |
---|---|---|---|
初 | 山中 寿 | S.39.9~S.43.3 | 3年6ヶ月 |
2 | 関長八郎 | S.43.4~S.46.8 | 3年5ヶ月 |
3 | 牛坂 映 | S.46.9~S.50.3 | 3年7ヶ月 |
4 | 阿部龍二 | S.50.4~S.51.2 | 11ヶ月 |
5 | 野上金造 | S.51.3~S.51.9 | 7ヶ月 |
6 | 荒井忠雄 | S.52.4~S.53.6 | 1年3ヶ月 |
7 | 金子正也 | S.53.7~S.54.9 | 1年3ヶ月 |
8 | 中村嘉輔 | S.54.10~S.57.3 | 2年6ヶ月 |
9 | 髙橋富士夫 | S.57.4~S.62.3 | 5年 |
10 | 嶺岸健治 | S.62.4~H.4.3 | 5年 |
11 | 菅原清吾 | H.4.4~H.6.3 | 2年 |
12 | 土屋幸吉 | H.6.4~H29.6 | 23年2ヶ月 |
13 | 中坪正一 | H.29.7~現在 |